フジフイルム X-T3で撮る 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』
"In Praise of Shadows" with FUJIFILM X-T3 / COSINA Voigtlander
こんにちは、@_nobu2です。
谷崎潤一郎の名随筆『陰翳礼讃』が、大川裕弘の写真とともにビジュアルブックとして蘇りました。
これがまた、写真の教科書かと思うぐらい素晴らしいのですよ。例えばこちらの文章。
『暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。』
まさしく光と影を読む写真についての文章ですよね。
そして、大川裕弘の写真。『若い頃から、シャドーに魅入られた人』という言葉にふさわしく、翳りのある、時には幽玄ささえ感じる写真が数多く添えられています。
谷崎潤一郎の名文と大川裕弘の湿り気のある写真を見るにつけ、日本の美学に改めて気付かされ、また影響を受けて写真をいくつか撮ってきました。
というわけで、今回は名随筆『陰翳礼讃』をフジフイルム X-T3で撮った写真とともに紹介いたします。レンズはコシナ謹製フォクトレンダーおよびライカ、フイルムシミュレーションはCLASSIC CHROME(クラシッククローム)を使用しています。
※X-T3以外で撮った過去の写真も一部載せています。
『陰翳礼讃』は青空文庫でも読めるとおり、著作権が消滅しています。
『暗い部屋に住むことを余儀なくされた
われわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、
やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。
事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って
生れているので、それ以外に何もない。
西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで
何の装飾もないと云う風に感じるのは、
彼等としてはいかさま尤もであるけれども、
それは陰翳の謎を解しないからである。』
『たとえば障子一枚にしても、趣味から云えば
ガラスを嵌めたくないけれども、
そうかと云って、徹底的に紙ばかりを使おうとすれば、
採光や戸締まり等の点で差支えが起る。
よんどころなく・・・』
『されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは
厠であると云えなくはない。
総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、
住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、
雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、
なつかしい連想の中へ包むようにした。』
『唐紙や和紙の肌理を見ると、そこに一種の温かみを感じ、
心が落ち着くようになる。
同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。
西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、
奉書や唐紙の肌は、柔らかい初雪の面のように、
ふっくらと光線を中へ吸い取る。』
『われわれは一概に光るものが
嫌いと云う訳ではないが、
浅く冴えたものよりも、
沈んだ翳りのあるものを好む。
それは天然の石であろうと、
人口の器物であろうと、
必ず時代のつやを連想させるような、
濁りを帯びた光りなのである。』
『われわれの座敷の美の要素は、
この間接の鈍い光線に外ならない。
われわれは、この力のない、
わびしい、果敢ない光線が、
しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、
わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。』
『思うに西洋人の云う「東洋の神秘」とは、
かくの如き暗がりが持つ
無気味な静かさを指すのであろう。』
『もう全く外の光りが届かなくなった
暗がりの中にある金襖や金屏風が、
幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、
ぽうっと夢のように照り返しているのを
見たことはないか。』
『案ずるにわれわれ東洋人は
己れの置かれた境遇の中に満足を求め、
現状に甘んじようとする風があるので、
暗いと云うことに不平を感ぜず、
それは仕方のないものとあきらめてしまい、
光線が乏しいなら乏しいなりに、
却ってその闇に沈潜し、
その中に自ずからなる美を発見する。』
『それはただ光りと闇が醸し出す
悪戯であって、
その場限りのものかも知れない。
だがわれわれはそれでいい。
それ以上を望むには及ばぬ。』
『分けても屋内の「眼に見える闇」は、
何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、
幻覚を起し易いので、或る場合には
屋外の闇よりも凄味がある。
魑魅とか妖怪変化とかの跳躍するのは
けだしこう云う闇であろうが、・・・』
『何にしても今日の室内の照明は、書を読むとか、
字を書くとか、針を運ぶとか云うことは最早問題でなく、
専ら四隅の蔭を消すことに費されるようになったが、
その考は少くとも日本家屋の美の観念とは両立しない。』
『まあどう云う工合になるか、
試しに電燈を消してみることだ。』