Nobuyoshi Moriyama

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[荒木経惟]KaoRiさんの告発を読んで

こんにちは、@_nobu2です。

ミクロコスモス舞踊研究所所長・さくらもちバレエ団代表・レイキマスターヒーラー・写真家アラーキーの元ミューズ。KaoRiさんがアラーキーについて告発されたことをnoteに書いておられたので読んだ。

 

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かなりの衝撃だった。どれぐらいの衝撃だったかというと、アラーキーが普通に前立腺癌で亡くなる以上の衝撃だ。

 

アラーキーの写真は名前に使っていることからもわかるように、かなり好きな部類に入る。写真集「さっちん: オリジナル版」「センチメンタルな旅・冬の旅」が特に気に入っている。

あと、森山大道中平卓馬とのエピソードや写真教室に関する読み物もいくつか手元にあるぐらいだ。

 

ただし、デジタルになってからの最近のアラーキーの写真についていいなと思うことはあまりなかった。アサヒカメラ6月号は、毎年、表紙および巻頭特集がアラーキーになるのだが、とにかく雑。どのように雑なのかというと、荒々しい表現にはほど遠い、ただ手を抜いている雑さ。デジタル特有のノイズが盛大に乗っていたり、ぶれていたりするのだ。

この人、本当はちゃんと色とか見えていないんじゃないかと思ったし、森山大道含めアラーキーもパソコンなんて触れないから(助手と思われる人にLightroomをいじらせてセレクトしているのを見たことがある)、他人任せに現像しているんだろうなと。

出版社もよくこんな汚い絵を表紙にもってくるよな。ある種の盲目状態だろうな、これは。と考えたりしていた。

それに、モデルやスタジオ、ライティングを使った撮影が、アラーキーのいう私写真に該当するとは到底思えなかった。

 

その時見たのも、いま思い返せばKaoRiさんがモデルの写真だった。

 

アサヒカメラ 2013年 06月号 [雑誌]

アサヒカメラ 2013年 06月号 [雑誌]

 

 

アラーキーは殊更に被写体との関係性を強調する写真家であろう。そのことは、「写真への旅」の、次の文章からも十分にわかる。

『偽アマチュア集団影法師は、EEカメラにネガカラーをつめて、正月の晴れ着の娘を撮るパパや、恋人といっしょにセルフタイマーで撮ろうとしている青年、とは違うんだと思いあがっているのだろうか。影法師なんざ、とうてい、あのパパや恋人たちにはかなわない』

『恋は、写真への初歩であり、人生への初歩でもあるのだ。まず恋をしよう、そしてカメラを買って、フィルムをつめて、野原や林の中で、記念写真を撮ろう。すこし上達したら、恋人の部屋で、そしてラブホテルで。ああ、楽しきかな「恋の時間」-。』

 

写真への旅 (光文社文庫)

写真への旅 (光文社文庫)

 

 

荒木氏のあの言葉は何だったのだろうか。

KaoRiさんとの関係は恋人でもミューズでもないことは明らかにされたわけだ。亡き妻・荒木陽子さんとの関係性、およびその写真についても、いまとなっては疑ってしまう。

荒木氏自身が偽アマチュア集団影法師ではないか。

荒木氏の言葉を借りて言うならば、偽私写真ということだ。

 

私写真という言葉そのものも、荒木氏が作り出したものでもなんでもない。飯沢耕太郎氏が自らの著書「私写真論」の中で、私生活を題材にした写真を私写真と呼んだのがそもそもの始まりであり、荒木氏の写真に限った言葉ではない。飯沢耕太郎氏も「センチメンタルな旅」は私写真と書いているが、荒木氏が撮った写真および荒木氏の作風を私写真とは書いていない。

荒木氏が自らの言葉であるかのように、いいように利用したに過ぎないわけである。

 

ドアノー「パリ市庁舎前のキス」、エルスケン「セーヌ左岸の恋」、キャパ「崩れ落ちる兵士」、ブレッソン「パリのサン・ラザール駅」などなど、写真の善し悪しとそこにある真実は関係ないことは明らかだが、モデルの人生を犠牲にしてまで存在する写真に価値はあるのだろうか。

『今後一切公開しないでほしいとは言わないけれど、するならルールを決めたい、いくらなんでもやり過ぎだったことを認めて欲しい。そのための話し合いの場を設けてほしい。』

とKaoRiさんがおっしゃっているように、荒木氏は今からでも対等な契約書を結ぶべきではないだろうか。そうしないと、偽アマチュア集団影法師以下の、ただのセクハラ老人が撮った写真になるだろうし、KaoRiさん以前も含め、全ての写真を荒木氏自身が葬り去ることになるのではないか。

 

KaoRiさんはnoteの告発の中で、荒木氏に撮らされた写真を掲載しておられるが、相当な苦痛だと思う。知ってもらうためにこれらの写真は必要だが、本人にとっては、思い出したくない過去のことだ。

 

『芸術や芸能の世界で、なぜか美しく悲しい物語として神格化されてきたように、私も、孤独で謎に包まれたミューズの死を持って彼の作品に貢献しないといけないのかと思い込み、自殺を真剣に考えました。だいたいの日程も決めて行動していました。遺書がわりにインスタグラムを始めたりして。あと少し』

KaoRiさんのこの言葉からもわかるように、相当追い詰められていたんだと思う。フランチェスカ・ウッドマンのように、写真家自身が自らの死をもって表現するならともかく、古屋誠一の妻のように、モデルが自らの死で写真家の表現を助けるなんてあってはならない。

(古屋誠一・・・妻を日常的に、精神を病んでいく過程も、飛び降り自殺するところも撮った写真家)

 

アサヒカメラと日本カメラも、荒木氏がアマチュアの頃から、アマチュア写真家と選考委員、電通から独立したフリーの写真家と編集、写狂老人と信者という、共犯関係にあったのだから、検証記事なり特集を組むべきだろう。はぐらかしたような記事では、荒木氏を擁護すること、および、KaoRiさんをさらに傷つけることになるし、勇気ある告発を否定することになる。

 

『その知識、本当に正しいですか?』

まさしく、荒木氏とアサヒカメラ、それに写真を撮る撮られる私たちに向けられた言葉だ。

 

アサヒカメラ 2016年 06 月号 [雑誌]

アサヒカメラ 2016年 06 月号 [雑誌]